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2004 年 6 月 のアーカイブ

乗り物

2004 年 6 月 30 日 水曜日

 乳母車に乗っていた思いではないが、太い藤でできたバスケットに綿入れの布団を敷いた乳母車に乗っていた赤ちゃんは子供の頃、よく見た。車は子供用三輪車を少し頑丈にしたような車輪。現代のベビーバギー・ベビーカーと呼ばれる折畳式のものはDachs飼主に赤ちゃんが出来た頃には全盛で、我が家では確か『アップリカ???』とかいうメーカだったと思う。
 街には今では殆ど見かけられなくなった人力車が走っていた。裕福な人が乗るタクシーのようなもので、我が家で家族全員が乗った記憶はない。今観光地で走っているものと殆どいっしょだが、幌はすべて黒で、ひざ掛けの裏が赤で
あった印象が強い。
 市民が乗るのは自転車か乗合バス。自転車は冷蔵庫に毎日入れる氷柱を積んだりする必要もあり、荷台が広く、安定感のある黒い大型自転車が各戸に必ず1台はあった。バスはもちろんワンマンではなく、バスガールが乗っており、バスの切符に鋏をいれたり、「次は市役所前 市役所前 **家具は真向かいでーす」などとマイクでアナウンスする。バスガールと言えるほどのものでもなく、小太りの中年女性が多かったかもしれない。車の前部は大きなボンネットがあり、エンジン音高らかに後方からは排気ガスを撒き散らしてさらに道路は舗装してないので土ぼこりがむんむん。
 お出かけは観光バスか、電車。電車は私鉄と国鉄。国鉄は当時「ショーセン」と呼ばれていた。運輸省の路線なので、省線だったのだろう。国鉄には石炭で走る汽車と電車があった。汽車は左右4人掛けの座席、電車は今の電車と同じ6,7人掛け座席。汽車はデッキ(車両の連結部)に乗ると、冬は冷たい風が厳しく、トンネルに入るとこれは季節に関係なく石炭のすすをかぶる。ドアが無い為だが、滑落事故が殆ど無かったのが不思議なほどである。バスは記憶にないが、汽車電車とも、小学校の床と同じで茶色のニス塗りの床で防災上の問題あったのに、平気で大人は社内でタバコをぷかぷか吸っていた。汽車の窓下にについている灰皿が非常に機能的でかつほかでは見る機会が殆ど無かったので電車に乗るたびに灰皿をがたがたいわせて取り外したり、食べ終わったみかんの皮を灰皿に入れては親に叱られていた。灰皿はなぜか色が灰色だった。汽車は鳥栖や下関、宇野など長距離が殆どだったが、吊り下げられている行き先表示板を見て、いつかは九州に行ってみたい、などと夢見てたように思う。省線の切符は硬券で、自販機も無かったので、窓口で神戸まで子供1枚などと言うと赤字で小の入った切符を機械にスライドすると自動的に切符の片側に日付が印刷され、とっても「かっこよかった」。
 自家用車については、ある親戚がラムネ製造をやってたので、オート三輪を数台所有していた。オート三輪はハンドルが自転車やバイクと同じで操舵については力がいるが俊敏確実なもの。メーカーはダイハツ(大阪発動機)だが、車名は「くろがね***」と言った筈。子供たちはこの深い緑色をした自動車
をいつも「バタコ」と呼んでいた。ダイハツで思い出したが、小学校高学年の頃テレビジョンで流行った番組に大村昆主演「番頭ハンと丁稚ドン」があるがそこで広告していた「ミゼット」というオート三輪は爆発的に売れまくり、駅の近くの商店街に寄るとミゼットがいっぱい。
 近日中に「ぼくなつ」に出稿を予定

秋葉原

2004 年 6 月 29 日 火曜日

 秋葉原もこの20年近くで相当かわった。
 昔は、と言うほどの昔でもないが、昭和の秋葉原は殆ど白物(冷蔵庫洗濯機など家庭電気製品)で、当時OA用に限られていた電子機器販売は細々と営業していたように記憶している。コピー・ファックス・プリンターが平成になって一般家庭にこれほど普及するとは誰が想像してただろう。
 あのころ、ロケット・第一家庭電器・なかうら・広瀬無線・オノデンなど家庭電器に注力していた頑張っていた電器屋さんは最近は見かけなくなったり、元気がなくなっている。昔はメーカー代理店が電器屋さんに大量の自社製品を予算達成のために月末に大量導入してもらっていたという。業界用語で「押し込む」と言い、メーカー側は販売店幹部に連日接待攻勢をかけるため、秋葉原ならびにその近辺(銀座・上野湯島など)の高級割烹は流行っていた。交際費も相当なものだったそうだが、いまやその面影も無く、秋葉原にあった割烹屋は今や殆ど廃業しているそうだ。
 今比較的元気なお店は石丸電機くらいで、情報機器で隆盛した有名なソフマップ・ラオックスでさえ、少し伸びが停滞しているのではないかと思う。地方ディスカウント店郊外進出や大手カメラ量販店の都心進出で秋葉原も相当顧客獲得競争がシビアになってきた。昨今のデフレ基調で顧客の眼も肥えてきており、ネットで価格比較する人も増えている。具体的には秋葉で商品を触り、価格サイトや掲示板などで製品長短関連の噂や経験談を充分聞いてから、あらためて、通販や高額ポイント制の郊外安売店で買うのが情報コンシューマの一般的傾向。これでは秋葉原はたまったものでない。
 いま、秋葉のパソコンショップはノーブランド周辺機器やDVD・デジカメ・ポータブルオーディオプレヤーなどを買う人であふれているらしい。AVに強い関心のある若い人が、それらを観たり聴いたりするために自作パソコンを作り、音響周辺機器を上手につなぐ人が増えているせいだ。Dachs飼主も昔は音響マニアの一員で、アカイの巨大4chオープンリールテープデッキやサンスイのスピーカーを大阪日本橋電機街に買いに行ったものだが、ネットから音楽をダウンロードしさえすればいまや、100gを切る超小型プレヤーで電車の中でもどこでも、ヘッドフォン(イヤフォンとは言わないそうです)で好きな音楽が気軽に観賞できる。
 一時流行った家庭用ゲーム機器やソフトも最近は一段落しているようで、郊外のパソコンショップやレンタル店で中古販売が隆盛とのこと。今の秋葉客層は、パソコン系のほかは模型玩具を初めとする趣味性の強いマニア店が増加し、所謂普通の電機屋さんのスペースは徐々に減ってきている。違法ソフトや怪しい中古販売も含め、パソコン系にも周辺機器部品バラ売りの店面積が増えてきている。
 資金さえあれば秋葉原で『儲かる』とDachs飼主が思っている商売が二つある。
ひとつめは食べ物店。
 秋葉営業時間も時間が長くなっており、朝は10:00頃から夜は11:00過ぎまでお店は営業している。従業員だけでも数千人はいると思われ、社員食堂スペースもお店側では用意できないため、また食事時間もお店により交代制をとっているので、美味しい料理を安く出せば必ず儲かる筈。今秋葉で行列の出来るお店は博多らーめんの店1軒のみと思うので、インターネットの使えるなど一味違う食べる空間を作れば「きっと儲かる」
ふたつめは古本屋。
 簡単で梱包箱から出せば直ぐ使えるようにパソコンはメーカ広告されているが、これが誇大広告でないという人は殆ど皆無でしょう。折角買ったパソコンだから有効に使おう、人気高いのでこの際もう一度、埃をかぶっているパソコンを出して勉強しなおそう等と考えている人が大半ではないかと思う。パソコンで判らないときや判ろうとするときにまず頭に浮かぶのは市販のパソコン解説書。雑誌も含めると1ヶ月にざっと1000冊レベルの発刊が繰り返されているという。しかしながら、1冊の本を2000円前後もだして買っても自分が本当に知りたいと思うことは立ち読みの時に買おうと思った数行だけだったことがありませんか? 解説書はパソコンを使うときに本来何度も繰り返して読み・学習するものだが、帯短襷長の書籍が多く、手元に自然に解説書が増えてゆく。例えばソフトの購入代金よりソフト解説書の購入金額のほうが多くなることもしばしばで、ソフトはなるべく安く買おうとするが、解説書が何度も買うとソフト価格より高くなることにはあまり神経を尖らせていない人も多い。あっても読みたくない本は山のように各家庭に眠っている一方、一昔前のバージョンが買えない、プログラミング言語の解説書は古いものでもサンプルのついた判りやすいものが欲しい、とにかく初心者なのでいろいろな解説本を安く読みたい・・・というような方も多いはず。こういう人たちをターゲットに高く買います安く売りますの古本屋商法で秋葉原にショップを開いたら「きっと儲かる」
近日中に『ぼくなつ』に出稿予定

カンダ神保町

2004 年 6 月 28 日 月曜日

 昨日日曜でガッカリした神保町に会社帰りに立ち寄った。Dachs飼主の欲しかったパソコン系の雑誌は3時間近く探し廻ったが無し。コンピュータ系の書籍は売り・買いに来る人が少ないのか、全ての店でジャンルを確立していない。文学・美術・歴史・映画・外国・アダルト系はうまくジャンル分けされ、閲覧しやすくなってるにも関らず、パソコン系は表の安売り(特価品)の置き場に積まれている中から探して歩かないと見つからない。商売になると思ったのに、自信をなくした。10年前には新刊の本屋にもパソコンの棚がなかったように、あと10年したら古本屋さんにもパソコンコーナーが出来るかもわからない。

古本屋

2004 年 6 月 27 日 日曜日

 DreamWeaverV4(HP作成ソフト マクロメディア社製)の適切な解説書が本屋に殆ど出ていない。ソフトのバージョンアップがめまぐるしいので、(現状DWはMXになっている)仕方が無い。朝9:00過ぎに自宅を出て小伝馬町まで地下鉄で出て、そこから、岩本町経由で神保町まで都会ウォーキング。白山通りに出たが、今日は古書店街が全面休日の日らしい。殆ど全部のシャッターが下りており、がっくり。スポーツショップを2,3見て廻りつつ、カンダ淡路町経由で秋葉原電気街へ。MXへのアップグレード版は2万円強で買えるがマイナーバージョンアップであり、Dachs飼主の小遣いでは手が出ない。adobee社やマクロメディア社はビジネスソフトを扱っている会社なのでホームユースとしてはベラボウに高い。もうしばらくV4を使ってゆくつもり。秋葉原で古本屋が出来たとの事で、行ってみるとまたがっくり。殆どの本が漫画と写真集のみ。併設はDVDとゲームCD。
 秋葉原の古本屋なら、パソコン関連の書籍を安く買い取って、高く売ると儲けが大きいと思う。パソコンソフト・ネットワーク系など技術の解説書は読むべき所は数ページであり、自分にあわないと思ったら、すぐ古雑誌新聞置き場に行く運命が多い。少し秋葉原での商売を考えて欲しい。Dachs飼主に資本があれば、秋葉原には食べ物屋かパソコン古本屋を創りたい。食べ物は朝9時から夜遅くまで絶えずお客が来る街であり、絶対儲かる筈・・・

長浜商店

2004 年 6 月 26 日 土曜日

 とにかく、面白い。女性でこんなに面白く世の中を見ている人も珍しい。
 関西言葉でオトモダチの東京弁は伝染するんですから辿った情報。
 webはここです。
 特にあそこのハナシいろいろは時を忘れて読みふけった。世間を地域を人間を『こんな目で見られたら楽しかろう、人生広がるだろう』の関西面白サイト。

誕生日

2004 年 6 月 25 日 金曜日

 今日はネット仲間の誕生日。タンプレ(誕生日プレゼントの略?らしい)を何にしようかと考えたが、男性らしく、刺繍で勝負した。一応縫い上げたが、画像を撮る時、gif(256色)にしたので、縮小すると画像、特に文字が潰れてしまう。クリック拡大すればそれなりには見れるのだが、よい経験をした。

お便り

2004 年 6 月 24 日 木曜日

 以前何回かご要望戴いた顧客対応ガイドラインの自社マニュアルの参考利用を今朝新規に頂戴した。(半年ぶりくらい?)
 「前職で幾分経験があるものの、クレーム処理対応責任者となって経験不足の感も否めず対応に苦慮していたところ、貴殿のページを発見。泉を見つけたような感激」云々のメールを戴いたが、お役に立てれば幸いと著作権の堅苦しいハナシも入れさせて貰ったが、お役に立てればDachs飼主としても嬉しいと回答。

弱冷房車

2004 年 6 月 23 日 水曜日

 連日、書いているが、毎日が暑い。背広は当然5月から夏物にしているが、毎日我慢できないほどの暑さ。電車の中くらいは涼しくと思っているが電車も冷房が効いてない。そのわけが今朝判った。昨年10月にサラリーマン生活に戻って以来、毎日同じ車両で、陽が直接あたらない北側の席に座っていた。車両は人形町で日比谷線に乗り換えるとき、階段に一番近いところ。ところが、今日社内で次の主旨で車掌がアナウンス
『毎日暑い日が続いていますが、社内冷房が気になる方は3号車にお移りください。冷房を弱くしてあります』
私の座っている車両がその3号車。どうりで暑いわけだ。明日からは乗換えが不便になっても、少なくとも夏場だけでも別の車両に移ろう。案外気づかないものです。ドアのところに青い文字で《弱冷房車》とはっきり書いてあった・・・・ドジマヌケ
小生が徒然につづった懐かしい話のうち、『貸本屋』の話が北陸の図書館の方の眼にとまり、同人誌の中で掲載したいというお話を戴いた。こちらとしては、お役に立てればぜひお使いくださいと回答させていただいた。読んでいただける方が一人でも多いことは嬉しいおはなし。

テニス

2004 年 6 月 22 日 火曜日

 先週韓国旅行でパスしたので、今日は2週間ぶりのレッスン。旅行土産のささやかな韓国海苔を車に積んで行ったが残念ながらレギュラーの出席はオジョウ一人。彼女だけに海苔をあげた。しかし、台風明けのせいか汗が滴り落ちる。テニスコートに着いて、レッスンの前にいつもはダカラと発泡酒を飲んでからテニスをするのだが、今日は久しぶりの為、飲まず飲まずの状態で出場。それでも汗をいっぱいかき、リストバンドが欲しいほどに汗がだらだら滴り落ちる。今夜のビールの売れ行きは最高かも。

バースディ

2004 年 6 月 21 日 月曜日

本日6月 21日の 誕生花は ジギタリス(Digitalis)、花言葉は“胸の思い”、誕生石は ブルーサファイア(blue-sapphire)、宝石言葉は“慈愛・誠実”。
<今日生まれの著名人>
サルトル (哲学者 1905年)
長山藍子 (女優 1941年)
山崎哲 (劇作家 1947年)
都倉俊一 (作曲家 1948年)
長谷川初範 (俳優 1955年) です。
以上、オキロンさんが調査してくれました。多謝