HomePageに飛ぶ愛犬Pageに飛ぶ旅行Pageに飛ぶ散歩Pageに飛ぶdachs飼主Pageに飛ぶ趣味Pageに飛ぶ顧客対応Pageに飛ぶ予備Pageに飛ぶ

2007 年 1 月 のアーカイブ

週末から北京へ

2007 年 1 月 31 日 水曜日

 北京5日間のスケジュール詳細が先日届いた。5日間だが実質朝から晩まで北京を観光できるのは3日間のみ。3日(土)からなので、月火水と会社を休ませてもらうことになる。
 2004年9月、2005年10月と中国株に興味を持って購入したがおかげさまで現在倍以上に膨れ上がっている。 しかし、昨年から中国は国内としては人口、政治、貧富格差問題、日本としては靖国、領土、石油探査問題、また世界的に見ても元切り上げ、北朝鮮支援問題などいろいろと彼の国は暗い話題も多い。そこで、首都北京を見学し、中国の実情を少しでも見て、株式をこのまま見続けるか、今の時点で何らかの動きを取るかを判断して来たい。メディアでは北京オリンピックにからみ、のびゆく国として平凡に書いているが、中国関係を書いた書籍を書店で購入すると相当ひどい書き方で数年で破綻するなど極めて悪し様に言われている。実際に現地に行って「見る眼」を養ってきたい。

婆爺帰郷

2007 年 1 月 30 日 火曜日

 親戚のジジババ3人が思い出深い千葉の記憶と足跡を残し、今日、伊丹と神戸空港に飛び立った。神戸空港へは福岡行きで懐かしい想い出のあるSKYMARKエアーが走っており、なんと片道運賃が6000円台だということで、ビックリした。朝9時に自宅を出発、途中宅急便で荷物を送り、駅前駐車場に留め、東銀座から築地本願寺参拝後、築地場外のお寿司屋で昼食。2時半の飛行機で無事離陸。夕方には無事到着の連絡があり、やれやれ。昨夜は深夜まで四方山話をして、今朝は眠かったが会社に行き、ツレアイが羽田まで爺婆の同行をしてくれた。今日から我が家はもとの平静さを取り戻す。
 今夜はテニスに行って今帰ってきたが、異様に静かだ。

ブログを大幅復帰修正

2007 年 1 月 29 日 月曜日

 昨夜、ブログの入力が3件ダブっていたのに気付き、今朝修正したが、チョイトした勘違いで、ブログの構成が一挙に乱れた。原因が分からないが過去データの保存復元、再構成・再構築などやってみたが一向に良化の兆しが見えない。どうもカテゴリの一部にゴミがはいったせいだと気付き、某カテゴリのみ一旦削除したら、今のところ異常が無くなった。朝6:00から10:00過ぎまで.4時間以上、手間がかかったことになる。
 自作ブログ(CGI)なら即修正できたのに、大汗をかいてしまった。 昨夜、東祥寺ご住職から(最後の新年会に)丁寧なコメントを頂戴していたのだが、それは本日のBLOGトラブルにより消えてしまいました。ご容赦下さい。

 先月より来てた義母愛子さん、今月17日より来てくれた伯母の歌子さん達治さんご夫妻もいよいよ明日兵庫県の川西市と神戸市に帰る。一緒に帰るといっても到着空港は神戸と伊丹で違うが全員80歳超とは今日で最後。駅前まで出て中華料理屋でコース料理を取りながら宴会。先週から何かかにかとジジババ系でたくさん飲んでいる。体を壊さねば良いのだが、快調すぎて不気味だ・・・

最後の新年会

2007 年 1 月 28 日 日曜日

午後、月例の坐禅会に参加した。東祥寺さんでの坐禅参加も1昨年11月以来なので1年以上になる。Dachs飼主は体が硬いので坐禅の座り方ができないので、変則的だが椅子坐禅という方式で参加させて貰っていた。しかし腰から下の足の力の篭め方、バランスなどで違和感を感じていた。今日、ご住職より「椅子坐禅でも浅く腰をかけて、足首を下で交差させれば坐禅の真髄により触れられる」とアドバイスを受け、そのとおりやってみた。足を交差させると今まで感じなかった膝上部分の緊張感と上半身の引き締めを身をもって体験できた。来月からもこの方法でさらに坐禅を身近にしたいものだ。
 昨年最後の忘年会は12月28日に勤務先のそれが開催されたが、今日は多分今年最後の新年会になるのだろう。
 昨年の坐禅新年会は6名ほどで開いて貰った新年会も今年は14名前後に参加者が増えた。近隣の檀家の方々だけでなく、習志野や白井、印西からの参禅者も参加された。ご住職が檀家のみなさまからの供物野菜を永平寺仕立ての心を込めた料理を昨夜から作っていただいたのをビールを戴きながら歓談させてもらった。今日は新年会と聞いていたのでいつもは車で往復するのだが公共交通機関に乗ってきた。「車で来てますから」と隣の人に遠慮しながらビール一杯で済ますのは主催者にも悪いし、自分自身にも精神衛生上宜しくない。気持ちよく戴いて帰ってきた。それにしても2駅で440円もかかる北総鉄道の運賃は高すぎるのだ・・・・

サンポーニャ

2007 年 1 月 27 日 土曜日

ペルーの土産で終日遊ぶ 昨秋行ったペルー旅行で買ってきたサンポーニャという楽器がまだ気になっており、2,3日前から練習を再開した。もともと1曲を二人で演奏しないといけない難しい楽器だが、「コンドルは飛んでゆく」程度のスローな曲ならDachs飼主一人でもなんとかひけるようになってきた。ペルーインカ文明のアンデス山地の民謡から発生し、サイモンとガーファンクルが紹介し一挙に有名になり、日本でも故越路吹雪さんが歌って一時大流行したものがなしいメロディー。この曲の名前「エルコンドルパーサ」という名馬が居たとも聞いている。サンポーニャはご覧のとおり、2列になっており、ハーモニカと違って吹くだけの楽器。したがって、息継ぎする間は別の人が次のメロディーを吹かないと曲が途切れてしまう。Dachs飼主のサンポーニャは下の段が6声、上の段が7声の計13音だが、高級な物は3段20音以上もあるらしい。ちいさな楽器店では見かけないものだが、ちょっとしたかくし芸で使えるかもしれない。

代休でのんびり

2007 年 1 月 26 日 金曜日

 正月2,3,4日と臨時で出勤した代休を今週来週と続けて撮っている。今回は本日から29日までの4連休。義母や伯母夫妻も30日に帰る予定なので、今日は船橋東武百貨店へお土産物を買いに行った。Dachs飼主は行ってもつまらないと思うので、ツレアイが3人を連れて行った。Dachs飼主は大晦日元日の写真、潮来鹿嶋の写真をL版にプリントする仕事を自宅で担当。2軒分で枚数が多いので、印画紙だけでなくカラーインクも消費量が激しい。義母の夫(義父)が亡くなって20年以上経つが、彼のモノクロ写真を義母が財布に入れているがしわくちゃになりかねていたので、スキャナーで取り込みセピアモードできちんと再生し、皺も取り去ってあげたらたいへん喜ばれた。パソコンを使った親孝行もしようとおもえば出来るものだ。
 午後2時間ほど自転車に乗ってジムに行ったが、すごく混んでいた。男性も土日出勤で平日休みの人も相当多いようだ。

個人情報の保護

2007 年 1 月 25 日 木曜日

 Dachs飼主の勤め先はコールセンターであり、個人情報の機密保持は何にも増して大事であるとスタッフは徹底指導され、啓蒙されている。携帯電話の執務室への持ち込み禁止のほか、リムーバブルな記憶媒体の持ち込みも禁止されている。電話時のちょっとしたメモ用紙も裏紙使用禁止と必ずシュレッダー裁断を義務付けられている。それでもまだ安心でないので、今年からは、メモ用紙の廃止に踏み切った。メモ用紙だと管理が杜撰な場合、機密漏れの可能性があるので、センター専用の個人ノートを配布し、退勤時にロッカーに鍵かけ保管とするようになった。1昨年暮れよりはパソコンには個人セキュリティカード(felicaカード型)がないとデータは暗号化され見えなくした。万が一洩れると食品の賞味期限切れと同じようなレベルで一挙に信用を失墜し、ブランドイメージが下がってしまう。信用の下がるのは一瞬だが、元に戻すのにはとんでもなく長い月日と費用がかかる。個人宅にかかってくる電話にも「あなたはどこから我が家の電話番号を知ったの?」と聞くと「4000番台から順番にかけています」などと嘘言を弄して誤魔化す人が増えてきたとツレアイからも聞いている。
 

完治しない肘

2007 年 1 月 24 日 水曜日

 昨年5月に始まったと思われるテニス肘がまだ治らない。昨日もテニスレッスンに行ったが、肘をかばうあまり、サーブはもちろん、ストロークにも手加減をするため、思い切ってボールを叩くことができなくなっている。専門用語で言えば外側上顆炎といわれる、筋肉でなく腱の炎症であり、ボールを打つ瞬間に手首を内側(手のひら側)に返して、その反動で(内側から外側に反らせて)バックハンドを打つと、肘の外側の前腕伸筋群が強い伸びと収縮を受けて腱の部分にストレスがかかる。症状は、要するに肘の外側(手を伸ばして手のひらを上にしたときの親指側)が痛くなる「外側上顆炎=バックハンドテニス肘」である。もっと痛くなれば治療にも行く気にもなるのだが、日常生活ではそれほど大きな痛みは感じないので半年以上も放ったらかしにしている。テニスをしていなくても、手首を反り返らせるような不自然な動きをするとそうなるらしい。Dachs飼主は利き腕である左肘から親指に向かって4センチ前後を強く上部圧迫すると痛みを感じる程度。また、肘を強く伸ばしても該当部分に鈍痛を感じる。テニスでバックハンドはなるべく使わないようにしなくてはならないが、レッスンメニューの2/5強はバックハンドがあるので、本格的な治療を受けないと、なかなか完治しない。加齢によるせいか、骨・腱や筋肉の炎症はなかなか自然治癒しないのがツライ。
 お昼の食事にMACで話題のメガマックを注文した。3枚のバンズに薄手のハンバーグが4枚挟んであるのだが、そのままガブリとは どんな大口の人でも食べられないビッグサイズ。2つにわけて食べなければならないが、食べ方が面倒で、もう食べる気がしない。Dachs飼主にとって、あまり美味しい物でもない。

潮来佐原老人旅編集完了

2007 年 1 月 23 日 火曜日

以下の文章をつけて、先週末に行った潮来佐原老人旅をサイトアップした。今日、せっかく休みを取ったのに、午前中いっぱいかかってしまったデス。

梅未だ固し  平成18年1月20日(土)から翌21日(日)にかけ、爺と婆合わせて5人で茨城県の宿に泊まって季節がら、鮟鱇鍋を食べに行こうと約束し、潮来の『簡保の宿』を予約した。Dachs飼主夫妻(合計111歳)、義母愛子(83歳)、義母の姉にあたる伯母夫妻(合計170歳)の平均年齢72歳、合計だと363歳にもなるご一行様がDachs飼主のヨボヨボ運転で土曜日、午前10時に出発した。今回のツアーメインは遅い初詣を兼ねて、東国3社と呼ばれる鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社を参拝すること、食事は茨城名物の鮟鱇鍋、房総半島の新鮮寿司を食べることがメイン。皆様お年寄りなので出発はゆっくり、食事はアルコールも入って最低でも1時間半かけてゆっくり食べてたくさんしゃべるお年頃ばかり。良く出てくる言葉は「話は変わるけど」「ちょっと、ちょっと」「えーと 何やったかいな」、「あーそれそれ」、「私も 」、「若い頃は」・・・が多く、話が何度も繰り返され、往きつ戻りつする。
 まず最初に向ったのは高津の杜駅に近い成田卸売り市場の中にある『江戸っ子寿司』にてビッグな「あなご、さば、えび、かに」などをほおばる。かになどは足一本がまるまま出てくるのでネタだけしか食べられない大きさ。おわんも美味しかった。11時に行ったので、量は食べなかったが味には十分、堪能できた。 寿司屋を出たころからポツポツと雨が降り始めたが、「何とかなるさ」と一路佐原へ。
 佐原は北総の小江戸と呼ばれ、旧い町並みに風情がある。車を降りたら、雨は止んでおり、傘は一本だけ持って町並みを見にいく。義母愛子の持ってる杖を傘に変えませんかと言えば、だれも傘の重みを気にする必要が無いので楽だ。さいわい旅館に入るまで雨が降らなかったので助かった。
 3年前にも行ったことがあるが、お年寄りにはたいへん好評で来て良かったと思う。小野川沿いに保存されている、町家の町並み、伊能忠敬旧宅、樋橋などを1時間ほどかけて歩く。以前、独立した市であったが、隣の香取市と合併して今は佐原市はない。しかし、三菱銀行跡地で働いている、市観光案内の人は私たちにも大変親切で気持ちよかった。
 佐原町並みを出て10分ばかり走ると香取神宮に到着する。香取神宮はさすがに大きな神社だが、感心したのは黒い社の荘厳さ。黒をこれだけ上手に使ったお社は珍しい。
 車に乗って数分するとそこそこ雨が落ちだして、時刻も4時を回ったので、一路潮来へ。今夜のお宿は「簡保の宿」。土曜日であんこう鍋や温泉を愉しみたい人が多いようで、多分満室の状況と思うが、大浴場はかなりスペースがあり、混んでる雰囲気は全く無く、夕食に食堂に来てはじめてこんなに人が入ってるのかと吃驚した。5人で鮟鱇鍋と海鮮鍋(宝来鍋)を囲んでワインとビールで乾杯。食事時間は2時間弱。帰って部屋でまたひとしきり話題が盛り上がった後、徐々に布団に沈没。
 翌日曜日の朝は晴れ。みんなで三々五々朝湯に浸かり、7時半から朝食。宿のバイキングは質も量も価値のあるテーブル。茨城名物水戸納豆「金の粒」を食べたが千葉で食べるそれとは粘りやうまさが大違い。関西のジジババご一同も「ウマイ」と賞賛。Dachs飼主も今年始めから番組で「納豆を朝夕1パック食べるとダイエットと若さが維持できる」というのを信じて納豆をせっせと食べていたが、ここの納豆はほんとうに美味い。 しかし、フロントでチェックアウトをしている間、朝刊各紙をみると、主要紙のトップ記事が『納豆健康法は捏造』。信じてたのに、とてもガッカリした。
 ホテルを10時半に出発し、近くの白鳥のいる浦に行くと、たくさんの鳥が乱舞していた。白鳥も黒鳥も30羽前後は居たが、多くはゆりかもめや鴨、かいつぶりが大半。1袋100円で餌を買って投げたら、大群で我々の周りを飛び回る。鳥が余りにもダイナミックな動きを見せてくれるので100枚近く撮ったかもしれない。そのせいで1昨年秋に今使ってるカメラを購入したのだが、10000枚を超えて、写真のファイル番号がPICT0001番から再スタートとなった。
 鳥の舞いをみた後は、鹿嶋神宮参拝に行く。鹿嶋神宮は有名だが、意外に本宮は小さくて、奥の杉木立にある旧跡をゆっくり訪ねる人も多い。私たちも100円で鹿の餌をやったり、国歌でうたわれている『さざれいし』を見る。うっそうとした杉木立が香取神宮もソウだったが、とても荘厳で美しい。特に雨上がりで湿っているのでなお良い。腰の曲がった我がご一行様もちょっと行っては「いなばうぁー」を繰り返し行っていた。イナバウアーは昨年冬オリンピックで荒川静香が魅せた技だが、開脚する足技であり、決して上向く技ではないが、みなさんイナバウアーで今日も盛り上がっていた。
 鹿嶋神宮のあとは、最後の神社。神栖市にある息栖神社。ここでも納経帖に社印を戴く。梅がまだ固かったが旧さと霊験を感じさせた。他の2神宮ほど有名ではないが、行ってみる価値ある社だ。

 最後は犬吠崎経由で銚子電鉄の駅を見学。そうとう資金難のようで、歴史ある電車を失うのは忍びないと今日も沢山の人たちがぬれ煎餅を買ったり、募金に来ておられた。駅長兼駅員さんは一人の女性(近所の方)が多分ボランティアでやられているのだろう。ぬれ煎餅はつくるそばからトブヨウに売れる大盛況で、私たちも名物ぬれ煎餅を3袋買わせて貰う。
 午後2時をだいぶ回っていたが犬吠駅前の回転すし屋「島武」で昼食。房総の肴を食べさせてくれ、私たちも「あぶらぼうず」「まんぼう」「あんきも」など普段食べないものも美味しく戴いた。 大勢の人が順番待ちだったのでテレビか雑誌で有名な店なのだろう。具がとても大きい寿司屋だった。

月平均700枚撮影

2007 年 1 月 22 日 月曜日

 昨年末以来、歯の治療に行っていたが、今夜7:30のクリーニングですべての工程が終了した。歯石や歯垢も丁寧にクリーニングしてもらい、虫歯になりかけの左下奥臼歯もキチンと再発防止施術をしてもらった。これからは半年毎にクリーニング&検診に来てくださいと言われたけれど、喉元過ぎれば暑さを忘れてしまいそうだ。歯が悪くなると姿勢や骨格にも悪い影響がではじめるという話もあり、これからしっかりチェックしなくては。
犬吠駅で消え行く可能性のある電車を撮影 今愛機になっているコニカミノルタαsweetも昨日の茨城千葉方面撮影で累計1万枚を越え、画像番号がPICT0000に戻り発番がリスタートした。購入して1年4ヶ月、1ヶ月平均700枚位の写真を撮ってきたことになる。写真を記録するのも楽しいが、HPやぶろぐにアップし、見ていただけるのも嬉しいことだ。土日の旅行でも約150枚くらいの写真を撮った。この写真は犬吠駅で外川駅行きの銚子電鉄の電車を撮ったもの。本業の鉄道事業では立ち行かぬため、ぬれ煎餅販売や愛好家の賛助金などでまかなわれているとのことだが、なんとか生き延びて欲しいと思う。犬吠駅自体はヨーロッパ風のクラシカルな駅でとっても愛着が持てる。電車は老朽化してるが、トイレなどはとっても綺麗で驚いた。但し、トイレットペーパーや手洗い後のタオルなどは用意が無い。