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2008 年 2 月 のアーカイブ

権謀術数

2008 年 2 月 29 日 金曜日

 昨夜、毒入りぎょうざ事件(08年01月末発生)に関して、中国側は「国内でメタミドホスが混入した可能性は極めて低い」と記者会見した。過去、「白を黒といいくるめる」「中国は嘘ばかり吐く裏切りものが殆ど」などなど、テレビだけでなく、新聞書籍でかなり叩かれているが、まさにこれである。昔は孔子や孟子の儒教精神に育まれた素晴らしい国民性を持っていたはずだが、清国設立~アヘン戦争勃発にかけて、マキャベリ「君主論」に近い「どんな悪辣・非道手段をとってもシタタカに手に入れる」権謀術数施策に変わった。中国株も昨年末から下がりきって、漸く上昇傾向が出てきた矢先にこのテイタラクでは、各国が北京オリンピックボイコットに奔るやもしれない。安価な中国産野菜・うなぎも検疫強化・輸入中止などで日本国民はまたまた日常生活の経済的圧迫感が重なって、良いことはひとつもない。中国政府はこれからも日本やアメリカと同じような「理に沿わない無理な戦略」を通して行けると本当に思っているのだろうか?

クイズ番組

2008 年 2 月 28 日 木曜日

 本年1月から来月までは小生の仕事はアルバイトなので、朝9時に出社して、夕方5時にはキチンと退社し、土日も残業時間帯も勤務してはならないという契約になっている。さっさと帰らなければ雇っている会社として厚生年金健康保険をはじめとする社会保険手続を行わなければいけないらしい。要は社員の標準労働時間の3/4を越えて働くことはアルバイトの域を超えてるということになるとのこと。
 という訳で、最近は縄のれんを潜ることもなく、毎夕午後5時半頃の電車に乗って7時には自宅に着いてこのブログを書いている。是が終わったら、食事を摂り、その後は隔日にスポーツジムに行く。行かないときはリビングでラミウリの相手をしながらテレビを見ていることが多い。テレビと言えば、最近のクイズ番組の多いことには驚嘆する。ついこれまでは、芸能人が出る有名なクイズ番組は平成教育委員会くらいでそれ以外は休日の午後に素人さん対象のクイズ番組が多くあったくらい。ところが最近は素人さんが出ずに、いつも同じような見慣れたタレントが毎日のようにクイズ番組に出ている。司会者もユースケサンタマリアのような個性あるひとも少なく、普通の漫才タレントが暇つぶしにやってるかの印象を受ける。昔は個性のある司会者が多く、特に小池清、泉大介、久米宏、関口宏、小泉博、児玉清、柳生博、押坂忍など、名前が一文字の司会者が印象的だった。 

はんぱモン

2008 年 2 月 27 日 水曜日

 スーパーマーケットが綺麗な野菜しか仕入れないために、田舎を散策していると食べられるのに放置してある野菜を見る。畑の畝の端で殆ど腐りかけているので、持っては帰られないが、たいへんモッタイナイと思う。昨日、ツレアイがあるお店で「規格外の野菜」を格安で売ってたのを買ってきていた。「規格外の大根、蓮根、人参、・・・」である。今夜はそれらの野菜をメインに鍋や煮物を作ってくれた。買ってきたときは不恰好だが、食材として調理されると、旨さは全く変わらない。大根などは巨大で大味ではないかと心配したが、大根おろしでも煮物でも両方旨かった。冬の野菜はどんな物でも美味しいので、たくさん食べすぎ、おなかが一杯になってしまった。

流行るお店

2008 年 2 月 26 日 火曜日

 朝、駅を降りて、会社に着くまでに感じたこと。
 駅前に牛丼店「すき家」がある。環状道路交差点にある立地場所としては最高だが、なぜかあまり人が、入っていない。朝で客が少ないこともあるのだろうが、なぜお客様の入りが少ないか、少し想像してみた。
 先日、晴海通りに行く機会があったのだが、その時コンビニエンスストア「ローソン」が道路より階段を4,5段程度登ったところに入口を作り店内が歩行者の目線からは見えないような造りになっていた。都心昼間人口は若者中心に廻っており、ファミレス・コンビニエンスストア、ファーストフード店、回転寿司屋など、利便性・経済性を競った店が急増している。しかし、利便性や経済性だけに的を絞った戦略だけではどうしても行き詰まる。残るのは『顧客サービス』である。
 こうしたお店は遅くまで早くから開いてる・少量でも買える・一人でも入れる・安い・・・が『強力なウリ』であるが反面、「こんなところで買ってる・食べているの」を知人に見られたら「嫌だ」という恥かしさも同居している。特に女性は、真向かいに居る男性から自分が食べているのを見られたくないという意識もある。
 牛丼屋のインテリアは殆どが外から見える。毎回のように新しい企画キャンペーンをし、幟旗を立てられると自然に通行者にも注目され、結果的に食べている人たちに目線が映りがち。パチンコ屋が店内を見えないようにして成功した例もあるので、外から見えない工夫(デザイン・中2階・2階)をすれば客足は伸びるのではないかと思った。
 dachs飼主も会社の近くの牛丼屋で昼食を一人で食べるのは気がひけてしまう。ファーストフードは一人で食べに行き易いのがウリなのに、これでは顧客心理をしっかり掴みきれてないのではないかと思う。

健忘症

2008 年 2 月 25 日 月曜日

 60歳になると、少しの体調不調でもオソロシク気に懸かることがある。髪の毛が薄くなる、髭の白髪が目立つ、手の甲や喉近辺に皺やシミが目立つようになる、のは仕方が無いのだが、物忘れがヒドクなってきた。もともと、忘れっぽいほうなのだが、ちょっとしたことを忘れがちになるので、2月に入ってから忘れ物チェック用に携帯端末PDAに夕食を思い出して記入するようにしている。書く時期は会社に出勤した際に入力している。ジムやテニスに行ったときに何回目かをキチンと書いているのだが、これは結構3,4にt前のことでも忘れずにすらすらと入力できる。しかし、月曜日に前週金曜日の夕食メニューがなかなか想い出せないのだ。結局月曜帰宅してから、ツレアイに「金曜日の夜、何を食べさせてくれた?」ときいてしまう。これが2週間も続いている。 記入する必要も無いことだが、自分の忘れ癖が激しいのが情けない・・・ 月曜日に忘れた夕食には☆印を追加して、自分を戒めている。 

坐禅会

2008 年 2 月 24 日 日曜日

本埜村の紅色庭梅 朝から凄い風と冷え込み。昨夜から娘が風邪の洟から耳が痛いと言い出し、ネットで日曜日に
開院している耳鼻咽喉科を探した。結局4駅先の東邦鎌ヶ谷病院が良さそうと判断し、母娘が鎌ヶ谷まで車で行った。Dachs飼主は仕方がないので、テニスは10:50頃に、30分かけて自転車で行くことにした。しかし、肝心なときにトラブル発生。毎回自転車に乗るときにタイヤの空気が抜けてしまっており、自転車ポンプで空気を入れるのだが、今朝は前輪の空気がまったく入らない。チューブの虫が馬鹿になっているらしく、また、自転車屋で直してもらわなければならない。風も強いので、今週のテニスには参加せず、都合のよいときに別途他クラスに潜入参加することにした。
 午後は2時から東祥寺にて月一の坐禅会。今回は子供連れの方が居られ、最初から禅堂にも侵入し、禅の最中に煩くされた。結局15分ほどして、住職か親か解からぬが、外に連れ出してくれ、後は静かな禅修行ができた。坐禅や法要の際、子供が騒いだ時にはなかなか外に出るようには言い辛い。注意することは、縁在って一緒にお寺に参禅した人の家族に申し訳なく、かと言って我慢するのも月1回楽しみにしている者にとってはまた残念なことである。 この煩い15分間は本当に辛かった。坐禅は心身を統一する修行であり、昔武田恵林寺の快川和尚が寺が焼き討ちに遭った際、「心頭滅却すれば火も自ら涼し」といた心境になれば言うことはないのだが、悲しいかな、子供が小さな声でごそごそ言われると、坐禅中に聞き耳を立てたり、調息調心と言われる「ゆっくりとした深い呼吸」を忘れていたり、・・・と散々な坐禅となった。まだまだ修行が足りぬ。
 なんとか、治まって良かったが、今日の禅堂はとても冷え込んだ。やはり2月の参禅は厳しいものがあり、逆に心身が引き締まる。坐禅をはじめて2年以上になるが、一番良かったことは「きびきび」。歩く姿勢や前向きに活きる気持ちが育ってることを感じて、「坐禅をやって良かった」と思っている。来月は23日になるが、お彼岸も最終日、暖かく気持ちよい坐禅になりそうである。今年の梅も、もうぼちぼち最終になりつつある。

フルスィング

2008 年 2 月 23 日 土曜日

冬のイニシャル入りファッションウェアです 今日の土曜日も少し空模様が怪しかったが、近所をラミウリ連れて、散歩。温度は2月にしてはチョー暖かい。ラミエルは相変わらずマイペースを狂わされながらウリエルの早足にアタフタと付き合わされている。このまま暖かくなってくれれば嬉しいのだが、夕方から冬の北風と寒さが再来するらしい。お昼頃に空模様が変わり、雨が降り出してきた。
 夜、さらに風が強くなって温度も急降下。ハイビジョンで「フルスィング最終回」を見た。過去5回のうち、4回を見た。30年間プロ野球のバッティングコーチを務め、地方の高校教師に転進した高林氏の生徒や先生のふれあいを活き活きと描いた秀作連続ドラマであった。午後6時にウィスキーを飲みながら観たのだが、後半部では目頭が熱くなった。爺、久しぶりの大感銘の水だった。昨日、リヤカーマンのビデオを見た直後だったからかもしれない。原作本を買って読み直したいと思う。Dachs飼主の育った中学高校の体育系教師には「男らしさ・凛々しさ・気力情熱」を感ずる方が多かった。中学時代、野球部の監督をしていた「筒井先生」を思い出した。自身、野球部に入ってなかったが部員の友達から彼の「感銘を受ける行動や態度・はなし・考え方」をたくさん聞いた。中学高校の教師は、生徒に臆病で偉そうにする尊敬できない大人が多い中で、尊敬できる先生は光っていた。普段は老いぼれの数学高校教師田岡先生(60)もそのような先生だった。毎冬に行われる1万メートルマラソンでは3年間、若い生徒に混じって常に10位以内に入っていた。体を鍛えている人は心も鍛えられていたのだと、あらためて感じた。

女は小悪

2008 年 2 月 22 日 金曜日

 朝午前7時頃に北総鉄道に乗車すると京急大森町駅に午前8時20分頃に到着する。京急線は男女共同トイレなどが未だに存在し、トイレ設備が不十分だが、それ以外に大きな欠点がある。鉄道の高架・地下埋没などの工事が進んでいないので、踏切が多い。東京都内を走る鉄道で、踏切が多いのはここはベスト3に入るのではないかと思う。最寄り駅のすぐそばに踏切がある。ここも高架化が数年ベースの工事で初められているが一向に進んでいない。Dachs飼主は下り線に乗って南側に降りるので踏み切りは気にする必要はないのだが、上り電車でこの駅に降りて、南側に進む人は踏み切りを待たなくてはならない。隣駅で急行特急の待ち合わせなどもあり、急行快速特急通過で踏切が閉まったままになることが頻繁にある。夕方なら待てると思うのだが、ピーク時には30分近くも待たされることがある。したがって、帰りは踏み切りを渡らないと都心方面の列車に乗れないので、一駅隣の高架駅である、平和島駅まで歩いてそこから乗ることにしている。しかし、南側から上り列車に乗る人にとって、朝は地獄である。のぼりとくだりが満遍なく通るとピーク時には殆ど踏切が開かなくなるのだ。通過列車は速度を出しているので危ないと解かっているのだが、そのようなときにくだりの電車が駅に止まった途端、上りの電車が来ないときに、踏切を潜って横切る人が居る。運転者が見つけ、電車の警笛を高い音で鳴らすのだが、これらの人たちには答えないようだ。大きな事故にならなければ良いがと心配している。Dachs飼主が降りる際の踏み切り違法横断者に限って言えば、圧倒的にそのひとたちは若い女性である。朝の10分は大事だと思うが毎日のことなので、いろいろ工夫もあるだろうと思うのに、懲りない面々ではある。
 話はかわるが、18日の日記で書いたリヤカーマンのビデオを見なおした。彼は31歳に教師を辞めて、51歳の今日まで20年間に4万キロをリヤカーを引いて地球を歩いたと言う。伊能忠敬も50歳でリタイア後に日本地図を作ろうと、20年間で日本国内を3万5千キロあるいて、精密な地図を作ったらしい。20年間で4万キロと言うと、1ヶ月200キロ近く歩かないと到達は不可能である。毎日が旅になり、ほかのことは多分何も出来ないだろうが、彼らの勇気ある行動にあらためて.感動した。

図書館

2008 年 2 月 21 日 木曜日

 今年に入って、勤務体系がかわり、残業をしなくなったせいで、夜は全くと言って良いほど、お酒のお付き合いが無くなった。朝も定刻に電車に乗ってゆくので、通勤電車の中では往きも帰りもいつでもシラフ。したがって、車内で読書をする時間が多くなり、読書のペースが騰がっている。オマケにお昼も弁当を持って通勤してるので30分くらいは食事をしながら、読書ができる。会社から歩いて10分くらいの距離に東京の区立図書館があるので、お昼休み時間中に行って帰って来られる。
 いまは、西田幾太郎の書物を気紛れに借りて読んでいる。小説でもそうだが、難しい本は、少し気が散るとすぐに文意がわからなくなり暫く前から読み返してしまう。今『真・善・美』について読んでいるが詩のような名文が続き、日頃のごみごみした気持ちが現れるようで、すがすがしい気がする。来週いっぱいギブアップせずに読み続けたい と思っている。昔は阿部次郎の「三太郎の日記」、亀井勝一郎、高橋和己の哲学書を疾風怒濤の中学時代に濫読し、友人と家で夜遅くまで熱い議論を戦わしたことを思い出す。今ではあの頃に戻りたいと時々思う。

表示速度

2008 年 2 月 20 日 水曜日

 HPをリニューアルして、約10日間、だいぶ不具合・操作性を改善した結果、ページ閲覧数も以前と同じペースに戻ってきた。今回はトップページの表示時間を大幅に改善したので、軽くなった。以前はBBSや日記などの最新更新日付を毎回拾ってたので、表示にかなりいらいらしたが、別ページに分けたので、日記や掲示板に関係ない一般閲覧ユーザにはよくなったと思う。また、IE7でもメニューが崩れなくなったし、これで暫くは大幅リニューアルはしなくて済みそうだ。ページ数が400以上になると共通情報の変更やサーバー移転はかなり重労働になる。
 

(さらに…)