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2017 年 2 月 のアーカイブ

明日から去るの三月

2017 年 2 月 28 日 火曜日

島の人々の日常がモノクロで100枚ほど撮られていた

 テニスも無い日なので、甑島について現地で貰った資料や図書館で借りた写真集「甑島列島」などをじっくり読んで観て再度勉強し復習してみた。下甑島は行けなかったが、2020年の藺牟田瀬戸大橋が開通すれば遊覧船が欠航になっても車で行けるので次回はぜひ行ってみたいと再度思った。先月の奄美も今月の甑島も思い出深く、思い入れが強い。見ていないところがあると気になる。ぜひゆっくりと再訪してみたい。
 今日で、2月も終わり・・・。「1月行く、2月逃げる、3月去る」と言われ、あっという間に1年の6分の1が終了となる。正月が終わったばかりと思っていると、もう三月が間近で、二月は格別早く過ぎるように感じてしまう。寒かったり暖かかったり、と寒暖のチェンジサイクルが短いので「日々の経過が短く感じてしまう」かもしれない。やることが多いのに思うように進まない時の言い訳に聞こえてしまう。ちなみに「四月は死ぬほど長い」ともいうようです。
 昨日と今日は、冬の寒さである。陽もささず、終日空気が冷たかった。明日から3月、関西では奈良東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)お水取りが終わる14日までは厳しい冬が終わらないと言われている。あと2週間我慢しよう。

さらば、乾燥

2017 年 2 月 27 日 月曜日

 昨日、あんなに暖かかったのに、今日は午前中から晴れず、午後からはどんどん風が冷たくなってきた。午後のテニスも十分に厚着をしていったのだが、運動をしても汗が出ることもなく、上着も最後までずっと着たままで丁度良いくらいの寒さ。冬が戻ってきたような冷気が肌を刺す。甑島で買ってきたテニス土産「甑だんご」を皆で食べた。きな粉餅で柔らかかった。好評であった。ジムでは最後にサウナで良く体を温めた。帰って車を出たら外気がヒヤッとした。

尿素20%配合のケラチナミンは良く効く

 旅行中足裏に付けなかった写真のケラチナミン軟膏とユースキンAクリームを久しぶりに塗った。春めいてきたので乾燥もだいぶ落ち着いてきたが、もういいだろうと安心していると、かかとにひび割れができる可能性がある。多分今週いっぱいでもう足裏の乾燥はストップするのではないかと思っている。

心身とも気持ち良い

2017 年 2 月 26 日 日曜日

 久しぶりに朝から心地よい春の日差しが降り注ぎ、とても気持ち良い。まさに”春がきた”というような陽気を感じた。昨日10時に早めに寝たせいもあり、体調はGood。朝8時からの早朝レッスンもスマッシュ以外は思い通りに速度方向ともに制御でき、コーチから少々だが褒められた。(dachs飼主は褒められると増長するかもしれないとコーチも抑え気味に褒めてくれた)
 ジムに行って東京マラソンを見ながらランニングマシンで走った。ケニアのキプサングは、34歳とは言え2時間3分台で42.195キロを走りぬいたのは感動である。浅草近辺で走ってるときにアナウンサーが「人力車は時速9キロ、マラソンランナーは時速21キロで走る」というようなことを言ってたが、今、私は時速8キロ台でしか走れていないので人力車にも負けているのだなと悲しかった。
 食事をして東祥寺さんへ坐禅に行く。前後半合わせ50分座り続けるのだが、後半の初めに僧が「坐禅で何かが叶うと思ってはいけない」「無念無想の境地で頭や胸に去来する思いなどを追わない」ことが
佛の形に似せた坐禅の姿である、と言われたのが印象に残った。昨夜ぐっすり眠ったので気持ちよく座れたが、やはり、頭に去来するものは坐禅中にもいろいろ浮かんでは消え、消えては浮かぶので(10年通ってはいるが)まだまだ修行が足りてない。

磨き蒸留という新技を使っているらしいのだ

 旅行前に飲んでいた芋焼酎「黒蔵の神」が空になっていたのに気づき、お寺からの帰りに同じ芋焼酎「あらわざ桜島」を買ってきた。メーカーは「本坊酒造」で知覧で蒸留されている、と書いてある。35日の試験入院終了後は酒に飢え、奄美旅以来、芋焼酎ばかりをビールの次に飲んでいる。
今日は一日充実し、快調だった。今夜の芋もまた旨いだろう。金曜日に南風奥様から手土産にと頂戴した揚立て屋の薩摩揚げ(ツキアゲ?)は薩摩らしい甘すぎさがほどほどでとても美味かった。ツレアイも甘すぎる薩摩揚げがもうひとつのようだったが、戴いたお土産は美味しそうに食べていた。

甑島写真整理

2017 年 2 月 25 日 土曜日

 今日は一日かけて甑島旅のアルバムの整理ととりあえずの甑旅アルバムを取りまとめた。200枚ほど撮り溜めていたので、整理が意外と手間取った。同行の友人2人にも写真原画1.5GBをウェブで送信した。
 午後はジムで汗を流し、サウナで手足を伸ばしリラックスしてきた。その後、明日行く坐禅写経の会の準備として、般若心経266文字を2時間弱ほどかけて硯に墨を擦り心を平安にして書ききった。その後夕食とビールを軽くいただき今日の作業はすべて終了。
 明日は午前中テニスレッスン、午後は東祥寺さんと立て込んでいるので今日はもう休む。

好天に九州から帰る

2017 年 2 月 24 日 金曜日

 昨夜はみんな、早いうちから飲んで、2階の部屋でも深酒をしたので10時過ぎには全員気持ちよく就寝。甑島里村の民宿「石原荘」では、昨夜7時から夕食で最初にビール日本頼んだのだが、隣のテーブルでは缶ビールなどを飲んでいる。おかみさんに聴いてみると、「うちは固いこと言いません」とのことで、即2階の部屋から昼間いちき串木野のスーパーで芋焼酎や漬物・薩摩揚げを持っており、その後1時間ほどお酒でいろいろと地元の魚介や野菜煮物を味わった。
 朝6時気持ちよく起きたのだが、外は九州ゆえ、まだまだ夜は明けない。今日の日の出は6:53、日没は18:01だが、東京のそれは6:17、17:32で30分ほど日の出日の入りが東京より遅い。今日は帰るだけとなる。
 夜が明けると同時に朝食タイム。今日は9:20のフェリーで串木野港に向わなければならないので、7時から朝食をとる。食後はすぐに海岸まで30分ほど朝の散歩をしてリラックスしてきた。

1日ずれていたらもっと楽しいたびになれたかも

今日は最終日だがほんとに良いお天気になった

 風はそこそこあったが、今日は良いお天気。宿に戻り急ぎ帰り支度をして、宿の人に里港まで送っていただいた。1時間15分の後、九州本土に到着。帰ったとたん、暑いほどの好天になった。とうとう用意していたサングラスも使わず、風で飛ばされないようにするための防止止めが良く活躍した旅であった。
 甑島には土産物店が(殆ど)無いので、串木野港ターミナルでテニス友達用の茶菓子など甑島のお土産を数点買ってきた。串木野港ターミナル駐車場では南風さんの奥様が私たち送迎のために鹿児島市の自宅からお越しいただいていた。ありがたいことである。鹿児島の人たちはみなさん人にやさしく、人情が厚い。市内のお蕎麦と天婦羅のお店「左膳」で4人揃っての昼食。dachs飼主と南風さんは桜膳、くんちゃんは鴨せいろなどを美味しくいただけた。美味しく豪華な料理なのに、値段はそれほどでない、庶民に親切な料理店であった。その後、奥様のご厚意で空港まで2人を送って貰い、おまけに鹿児島名物りっぱな「さつま揚げ」までいただいた。二人とも大感謝の至りです。ありがとう。
 飛行機は定刻に出発し定刻に成田に到着。2泊3日の友人再会の甑島旅は天気には裏切られたが、人情を感じた思い出多い素晴らしい旅であった。

甑島ドライブ

2017 年 2 月 23 日 木曜日

 昨夜、旧交を深くつなぎとめたので、ホテルに戻ったのは12時間近くとなった。ブログを書いて起床したのは午前7時。普段は午前5時に自然に起きるのに焼酎の気持ち良さにぐっすり眠りこけた。朝8時前に南風さんから電話があった。「11:20発の甑島里港行きフェリーが暴風波浪警報で欠航になった」という悲しい報せ。行けないと今日は鹿児島近辺をぶらぶらして、今夜の宿も探さねばならない。
 いろいろ考えてホテルの食事を一緒に泊まったくんちゃんとホテルのロビーで食べていると、第二報が・・・。「11:20出港が逆転再決定した。しかし、13:50発の高速フェリー遊覧船は欠航の模様」。フェリーで下甑島西海岸を遊覧する計画がメインであったのに大変残念だった。それでも折角来たので「甑島」に行くぞーと3人で決め、あとは野となれ山となれの気持ちで少々落ち込みながらも急きょ準備を始めた。
 10時に南風さんの奥様の運転でいちき串木野港まで最近購入された高級愛車レクサスRX450Hで送って貰った。
 荒波を乗り越えて、フェリーに乗ったとたん、南風さんとクンちゃんが船酔い気味でダウン、1時間15分の乗船後、里港に到着。やはり上陸しても風は強い。高速遊覧船に乗れないのでレンタカーを借りて自動車で行ける範囲の上・中甑島ドライブを南風さん運転で4時間ほど車内で雑談を愉しみながら海岸や山の風景を撮影し続けた。
 dachs飼主もここに来る前に甑島の勉強をしてきた。甑島列島は、九州の西方海上に属し、上甑島、中甑島、下甑島の三島と周辺の無人島からなっている。島には里村、上甑村、鹿島村、下甑村の4村あり人口は現在5000人強だが徐々に減ってきている。島には小中学校しかないので、高校生になると島外に出ないといけない。特に女性が少ないという。しかし、島の人々は、旅人にも優しい目線と言葉をかけてくれる。島に上陸すると、誰もが「こんにちは」と声をかけ、車中の人にさえ小学生が挨拶をしてくれ頭を下げてくれる。穏やかな顔の人たちが住む島。人情味あふれる人が息づく島。島の人々にあうと、忘れていた人の優しさに触れるような温かさに包まれるきがした。お昼は里港ターミナルでこの地の地形「とんぼろ」をネーミングした「とんぼろカツカレー」を3人で食べた。船酔いの2名には美味しい食事だったようだ。カレーの味が良かった。
 まずドライブのはじめと最後に里港を中心走って貰った。里村はトンボロ地形つまり陸繋島の上にある村で、その形は函館トンボロとそっくりである。和歌山の串本と併せ日本三大トンボロといわれている。トンボロはフランスの、モンサンミッシェル、昨年行ってきた小豆島のエンジェルロードと同様、引き潮になると島が繋がる地形である。里港の南側の山上には風力発電塔がみえる。自然エネルギーで125戸分の電力がまかなえるそうだ。

九州の天橋立風

 里港からは最初に「長目の浜」に向かう。断崖の上に架かる鍬崎橋からみる西の海が素晴らしい。橋を過ぎると「長目の浜展望所」から見渡すと、玉石の長い海岸が、海と鍬崎池、貝池、なまこ池の3つの池を区切っているのがよく見える。その姿は「天の橋立」を思わせる。上甑島最高の景勝地だろう。風は強かったが、海岸線は滑らかな弧を描いており、白い砂や石の浜が続き美しい。
 次の上甑村は、甑大明神橋と鹿の子大橋を見学。鹿の子大橋の手前の岩間には荒れ狂う男性的な白波が美しく、30メートルを超えるだろうこの崖上にも波の飛沫が飛んできた。甑大明神橋の近くには立派な柱状節理の断崖や奇岩が屹立しており、とても美しかった。
 中甑島と下甑島間は藺牟田瀬戸(いむたせと)海峡を繋ぐ藺牟田瀬戸架橋(仮称)が建設中であり、基礎部分はほとんど完成していた。平成32年中の完成だそうだ。
 いろいろと南風さんのご親切なドライブと解説により、下甑遊覧以上の旅心をくすぐられ、とても感動した。
 レンタカーを返して今夜のやど民宿「石原荘」に5時前に到着し、風でとことん冷えた体を3人一緒に大(?)浴場で膝附合わせて汗たっぷりになるまで入った。
 6時からきびなごをはじめ、新鮮魚介の料理とお酒で3人一緒に楽しめた。2階の部屋で串木野で入手した芋焼酎や乾きもので二次会を心ゆくまで楽しめた。

[tip]霞始靆
 2月23日~2月28日は雨水節次候で霞始靆(かすみはじめてたなびく)。たなびくとは、霞や雲が層をなし、薄く長く漂っている様子を表しています。秋の霧(秋立つ霧)と春の霞(春立つ霞) は、気象的には同じ現象です。微細な水滴が空中に浮遊するため、空がぼんやりして、遠方がはっきりと見えない気象現象をいいます。霞、霧と、靄(もや)との違いは、視界が1km以上の場合が靄、1km未満のときに霞や霧になるそうです。[/tip]

雨の鹿児島

2017 年 2 月 22 日 水曜日

 今の実時間は22日23:55。先ほど居酒屋とカラオケ屋とラーメン屋を回ってやっと我」「がホテルに到着できた。多分書き込み時には翌朝になるが書き込み時刻を嘘ついて23:55分を書き込み時刻と騙して22日のブログとする。

明日は甑島に行けるか

 今日は昨年11月から鹿児島の南風さんに遭いに行き、酒盛りをしながら旧交を温めようと府中のくんちゃんとかたい約束をして、成田空港#3ターミナルからJETSTARで午後2:45発GK627便で鹿児島に向かう。クンちゃんは府中から京王線・京王新線。京成線を乗り継いで1500円で空港第2ビルに13:14に到着したそうだが、Dachs飼主は最寄り駅を12:53発で出発しクンちゃんと同じ時刻13:14に到着したにもかかわらず、運賃は900円近くになる。北総戦運賃は高すぎる。
 GK627便予定の到着時刻16:40は若干早く着いたので空港リムジンバスには予定の17時発でなく16:40発に乗れた。鹿児島はあいにく小雨状態。鹿児島定宿には18時前についたので、南風さんと約した和風茶坊「風」で3人が再会できた。その後、カラオケバー「XX」、ラーメン「のり一」を経てざぁざぁ雨が降る中、ホテルに戻れたのは12時前になってしまった。飲み屋「風」で初体験は「芋焼酎南乃方」が大きな甕に入っており、その甕の焼酎は何杯飲んでも無料の缶tぉ腕いうところの飲み放題とまるで変わらないのに吃驚仰天。カラオケではほかの客も多かったが一人3曲くらいは唄えたと思う。最後に2年前鹿児島で良く食べに行ったあっさりラーメン屋で旧交を温めることができた。
 明日から甑島に行こうとしていたが、島で予約している民宿のオカミから「明日は風が強くなる可能性が高く、フェリーが欠航するかも」と恐ろしい予言を戴いた。欠航になるとどうしようか、との話題には誰も応えられなかった。Good Night

東芝の危機

2017 年 2 月 21 日 火曜日

 メディアでも大報道されているように、東芝が揺れている。
 dachs飼主が入社する以前(1966年)、経営評論家三鬼陽之助が著した「東芝の悲劇」と題する書籍がカッパブックスから売り出され、ベストセラーになったが、これは社長人事の交代劇であり、今回はその比ではない。
 工場の従業員は正社員で50歳台になっても年収500万円にもならない、とのこと。早期退職には、企業年金に入れば3,4年分の年収を付加すると言われても、企業年金の存続さえも危ぶまれている。辞めるにやめられず、とは家族も含めこういう状況といえる。我々はオイルショックの時代はあったが、以降順調に社業も国力も満帆に推移し、おかげさまで老後も贅沢さえしなければ不自由なく墓場まで行けると思っているが、東芝の後輩たちは毎日戦々恐々とされているはずである。
 会社を辞めて15年も経ると、知っている後輩はほとんどいないし、賀状の往復も途絶えている。東芝も大変だが、子会社孫会社など関連グループも含めると15万を超える従業員とその家族がもっと心配だろうと推察される。
 金融危機、東日本大震災の際には、銀行や東電は国がバックアップしてくれたし、今もしてくれているが、シャープや東芝の陥落には当然なにも国はしてくれない。しかし、東電と同様、原子力発電に関する事業については、重要な国策であり、なんとか国から東芝に手を差し伸べてほしいと思う。

雪の後は春二番

2017 年 2 月 20 日 月曜日

 先週金曜日に昼の気温20℃の下で、強烈な風が吹きすさび、午後のテニスは中止となった。その2日後の昨日は、未明に雪が降り、室内で寒い中レッスンを受けた。そして今日は今日で暖かいが風が強く、今日のテニスもコンディション不良で中止となった。何人かはメールや電話で問い合わせを受けたが、中止にしますと当番の権限でお話をしておいた。しかし、参加の意思を持つ方がコートに来られる可能性もあり、開始時刻の1時を15分経過するまで駐車場で待機していた。不安だがとひとりだけ来場されたが、丁重に中止のご連絡を申し上げ、お帰り願った。我がテニスクラブはいつ参加しても、いつ帰っても良いメンバーにとってきわめて自由なルールで運営しているので、事前に参加するメンバー名や数を記録していないので、コートでの少々の待機は当番の役目なので致し方がない。
 23日、24日はまた、関東でも嵐のような強風が吹きそうなので甑島遊覧の旅程も選択の余地のない中でも柔軟に対応する必要がある。まだ旅には出てないが、甑島旅の基本HP基礎だけは作っておいた。

春一番の後に雪

2017 年 2 月 19 日 日曜日

 1昨日の春一番も寒かったが、今朝起床すると庭の土が白い。昨日、俳句と短歌を各3句うたったので、6時から短歌と俳句のNHKEテレ(教育チャンネル)を見る。年齢を重ねると、俳句や短歌も良いものだとしみじみと感じる。

風がとても冷たい

 朝刊を取りに出てみると、風がとても冷たい。暖かい朝食を取ったあと、8時前にレッスンコートに到着。テント内はOKだが、外のコートは雪が降り、しばらくはプレーできないほど。関係者がコートの雪を懸命に掃いていた。

 午後は、間近に迫った甑島旅程の最終確認表を作成した。全員で最終確認をして水曜日から出かけることになる。

この通り楽しんできたい